
林昌院由緒
開山慧明法印は大和の国に生まれ、幼くして内山永久寺に入り、阿吸法印に真言密教修験道の内外典を学びました。
天文二十一年(一五五二年)、当山派の聖地小篠宿で夢想の感を得た慧明法印は、尾張国、
春日群味岡庄田楽村(現、春日井市田楽町)に草庵を結び、本尊不動明王(梵語、アシャラ)を
勧請し、日夜勤行につとめ、阿遮羅山林昌院を開山しました。
又、慧明法印は清洲城に出て、織田信長公に謁し武運長久の祈願を奉仕し、その功により信長公の命によって、
堂宇の建立を許可されました。
永禄三年(一五六〇年)桶狭間の戦いの際、信長公は慧明法印に戦勝祈願を命じて桶狭間へと出陣します。
慧明法印が戦勝呪術を行うと突然雷をともなった大風雨が起き、信長公は大勝します。
喜んだ信長公は林昌院に大定寺(勝ちを大きく定めた、意)という寺号を与えました。
その後、真言密教修験教学と修行道場として、多くの修験者が修学し、尾三濃、三国に渉って、三十余ヶ寺の末寺を保ち、明治二十三年(一八九〇年)には
院家格(別格本山)に昇格しました。
現在は、高野山真言宗を本山とし、現世利益の祈願寺として、また亡き方を偲び感謝の心を伝える供養寺として香煙絶えることなく、皆さまに御参詣いただいております。